『翻訳』は言葉の持ち主を変える。

コラム

はい、かずひです 😛 (@Kazuhiin)

 

ある日の会話

友人A :「かずー!海外の人にも俺の音楽聴いてもらいたいからさ、英語の歌作りたいんやんかー」

 

おれ :「おん、ほんで?」

 

友人A :「おれが書く日本語の歌詞をさ、全部英語にしてくれへん???」

 

おれ :「まあ、良いけど」

 

~~翌日~~

 

おれ :「(んー、、、これけっこう直訳しちゃうと長くなって、メロディに合わなくなるな)」「(ちょっと意訳するか)」「(あれっ待てよ、、でもそうするとこの元の歌詞のの雰囲気変わってまう、、)」

 

おれ :「(これ、元の文を英語にするだけやったのに、めっちゃおれ『表現』とか『使う言葉』とか考えてるなー、、)」

言葉の持ち主とは?

まあ簡単に言ってしまえばこういうことなんですよ。

ここから具体的に例を上げていきます。

映画の翻訳

普段僕たちが見ている映画では翻訳の際、様々なルールがあります。

example

・1秒で3,4文字まで

・約12~13文字以内

などなど

他にも様々なルールがあります。

こう言ったルールの中で、映画の翻訳者たちは彼らが繰り出す言葉を変化させているわけです。

 

↓この記事を見てください!↓

戸田奈津子氏が語る「映画の魅力を表現する字幕翻訳」

この記事に書かれてある1つの例が非常に興味深いんですよ。

“If you don’t go when you want go, when you do want to go, you’ll find your gone.”

(行こうと思う時にいかなかれば、本当に行こうと思った時には、もう死んじゃってるよ)

 

これは映画、アンソニー・ホプキンス主演の『世界最速のインディアン』の一部分で、彼は早口で上のフレーズを4秒ぐらいで喋るわけです。(笑)

ここでみなさんに考えてもらいたいポイントがいくつかあり

POINT

・12,13文字ぐらいで訳さなければいけない。(3×4(秒)=12文字)

 

・『暫く』のような難しすぎる漢字は使うべきではない。

 

・字数が足りすぎてもいけない。(字幕を読みきって、声が残る状態は非常に好ましくないため)

 

・原文にないような言葉で『意訳』しすぎてはいけない。

こういったルールのもと翻訳された日本語を、果たして私たちはその『俳優』『監督』の言葉として受け入れていいのでしょうか!?

答えは『No』です。

なぜならそこには、『翻訳者の解釈』や『翻訳者の表現』などいわゆる『翻訳者の技術』が含まれているからです。

話し手と聞き手の関係

もちろん本人の言葉を直接聞いても、人ぞれぞれ受け取り方は違います。

しかし、ここでの重要なことは『受け取り方』ではなく『受け取る方法』なんですよ。

話し手と聞き手の間に何も介さないということが重要なんです。

芸人さんの話をイメージしよう

example

ある学生が昨晩テレビで見た芸人の話が面白くて、次の日学校の友達にそれを話ししたとします。

もうおわかりですよね?

そのテレビで話した芸人の話は、その芸人が話して、1つの作品となっているわけです。

『人志松本のすべらない話』で繰り広げられる話を、誰がしても面白くなるわけではないんです。

これは決して「元の話の方が優れている」みたいなことを言っているわけではありません。

『元の話』を別の人が話したから、さらに笑いが増す場合もあるし、翻訳されたことにより、より力強い言葉に生まれ変わる場合もあります。

言いたいことはただ1つ。

元の言葉と翻訳された言葉はと同じ生き物ではないということです。

世界観を持つアーティスト

あともう1つだけ例をあげましょう。

留学前、自分がよく聞いていたバンド『アルカラ』の『キャッチーを科学する』の歌詞の一部分を紹介します。

POINT

“文明 解明 聡明 木火土金水 操って

結合 誘拐 発明 繰り返した

闇に光浴びせ 笑顔もたらし

時に武器にして 傷つけあったとさ

 

それを歴史という名前で呼んで

頭に詰め込みお受験戦争

3.1415926953589(3.14以後 急にロックが降参 ゴーヤ食う)

794(鳴くよ)ウグイス 894(白紙)に戻そう

2×9=18(にくじゅうはちまんえん)

 

水金地火木土天海冥 中には曜日の名前になって

ぐるぐるぐるぐる 定義された世界で

『アルカラ』は演奏のクオリティやバンドの全体の統一感、グルーブ感などは天下一品で、中でも自分が好きな部分は歌詞の世界観です。

「さて留学も終えたので、英訳でもしてみよっか」

と思い、改めて歌詞を見ると、、(絶望感)

「そうなんですよ、英訳できないんです、、」

まあ『アルカラ』は、例えにしては少しぶっ飛びすぎたかもしれませんが、

日本語の特徴や表現などを最大限に引き出している『アーティスト』『クリエイター』『インフルエンサー』などの作品は時として、表現できないんです。

一人称

まず『男性』と『女性』に大きく分けて『僕』『私』。

『女性』の中で細かく分けて『私』『うち』『あたい』など。

『日本語』は歌詞の一人称をどれにするかで、『歌詞全体の雰囲気』『主人公のキャラ』を一気に変えることができますよね。

そしてこれらを『英訳』する場合、”I(アイ)”のひと単語で置き換えられてしまいます。

語尾・口調

一人称・二人称以外にも性別、性格によって、日本語は大きく言葉が変わります。

「~だわ」と聞けば、女性らしさを連想することができますし、「~だぜ」と聞けば、力強い男性を連想することができます。

日本語だから表すことができる世界観というものが間違いなくあるわけです。

おわりに

まとめます。

言葉の持ち主が変わることは別に悪いことではありません。自分より、言語化能力が優れている人によって、自分の気持ちをより正確に伝えれるのならそれは全然オーケーです!

 

ただ、「グローバル化が進み、海外を意識していきたい」という理由だけで『自分の大事にしている言葉・作品』などを、『英語化・翻訳化』するのには抵抗があります。

 

あなたがもし上記で例にもあげた『アルカラ』のような、日本語の特徴や表現を重視した『アーティスト』『クリエイター』『インフルエンサー』なら、むやみに持ち主を変えるような行動をするべきではないでしょう。

改めて自分の作品の『持ち主』を見直して見てください^^

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バイバイ 😎

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