【1分でわかる】国際交流イベンターかずひの自己紹介。バンド解散、ワーホリ(トロント)での生活など。

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はい、かずひです 😀

 

現在国際交流イベンターとして

活動している僕”かずひ”を

1分ぐらいで紹介したいと思います。

プロフィール

◎かずひ

◎国際交流イベンター

◎1992/5/12

◎奈良出身

◎179cm/70kg

◎O型

経歴

バンド活動の休止をきっかけに、ワーホリで海外留学を決断。行き先をカナダにした理由は、アメリカアクセントを身につけたっかたら。

留学中はカフェで働き、英語勉強と共にブログにも打ち込む。

帰国後、留学経験を活かすため、子供英会話教室、海外の人が訪れるパブでの勤務、そして国際交流イベントを開く、イベンターとして現在活動中。

 

以上が、1分でわかる

かずひの簡単プロフィールです 😛

 

 

 

 

 

もう少し

かずひのこと

知ってもいいって人。

 

このまま下にスクロールしてください。

 

少し長めの

ここ西院の自分にあった出来事や

思いを物語テイストで語っています。



バンド活動・休止

音楽への出会い。

 

当時、大学三回の自分は

周りが就活真っ只中、

「自分も就活始めないかんな〜」

とか思いながら

地元のある一軒のバーに入った。

※ちなみに当時の彼女と別れむしゃくしゃしていた、人生で初めてのバー。

 

地元奈良の”チルアウト”というバーで

そこには奈良で有名なバンド

“KIDS”のボーカルのおっくんさんが

バーテンダーとして働いていた。

彼と出会いが

僕の音楽活動が始まる瞬間

そして

就職活動をやめる決断をした瞬間

でもあった。

一人女性と外国人が集まる隠れ家”Bar Chill Out”

 

僕は

高校の終わりからギターを始め出したこと

軽音楽部に入ったが馴染めず辞めたこと

まだ音楽をしたい気持ちがあること

を彼に熱く熱く語った。

 

そして

「自分は特に人間関係とかで、音楽ができなかったということはなかったから、助けになりたい。」

などと言って頂き

個人で活動しているアーティストや

大阪にライブハウスなどを

紹介してくれた。

 

この時

バーって本当に出会いの場所なんだ。

ライブハウスでライブってこうやってするんだ。

人前で歌うのって意外と緊張しないな。

などなど

色々なことを学んだ。

 

そして僕の音楽活動はスタートした。

 

活動スタート。

バンドがしたい、、

でも周りにメンバーがいない、、

 

そんな感じにスタートした

自分の音楽活動は

オリジナルとコピーを織り交ぜて

アコギ弾き語りでライブハウスを回り始めた。

 

もちろんその間

バンド募集サイトや

ライブハウスの協力、

ライブで知り合った人に声をかけたりなど

メンバー探しに力も入れた。

 

結論から言うと、2016年あたりに

自分の音楽活動はストップとなるわけだが

それまでの間、数多くのバンドを

組んでは解散、組んでは解散、組んでは解散。

そんな日々の繰り返しだった。

 

これがバンドをする上での

苦悩だと考え

それでも粘り強くメンバーを探し続けた。

 

音楽活動休止の

一番最後に活動していた

バンドの話をする。

 

当時おそらく23歳くらいだった自分は

バンド募集サイトを

ぼーっと眺めていると

“ドラムやったことないけどやってみたい”

という

18歳くらいの女の子の記事を見つけた。

 

“これからバンドを新しく始めていこうと思っているので、よかったらスタジオか何か入りませんか”

的なことを言い

メッセージを送った。

 

結果としてその子は

メンバーの一員となるわけだが

メンバーはまだ僕らだけだった。

 

しかし

そこからメンバーは

想像以上に早く見つかり

一つ年下のベーシスト

二つ年下のギターリストが

加わった。

 

ギターボーカル(自分)

ベース

ギター

ドラム

オーソドックスなバンドのスタイルが

ここで完成した。

 

ベーシストは男で

体にはタトゥー

ヒゲも長く伸ばし

他にもバンド活動をやっており

「いかにも音楽やってます」

という雰囲気を醸し出していた。

 

ギターは女の子で

僕たちメンバー以外とは

一言も話さないぐらいの

物静かな子で

初め、僕たちに慣れるのも

少し時間を要した。

 

いわば

ベーシストとギタリストは

両極端にいるようなタイプだった。

 

そしてちなみに

ドラムの女の子は

誰とでも仲良く慣れる

活発な女の子で

バンド全体の雰囲気を見ると

ビジュアル的にも、性格的にも

本当にバランスのとれた良いバンドだと

自分は確信していた。

 

僕らは音楽の趣味は

まあまあバラバラだったが

何とかみんなで好きなバンドを言い合い

RADWIMPSのコピーを

初めのライブですることに決めた。

 

曲の難易度

お気に入りの曲

色々な点を考慮し

ライブで披露する曲を選び

僕らは日々練習に励んだ。

 

結果的に言うと

ライブも初めてにしては上出来だった。

 

バンド内の雰囲気も悪くはなかった。

プライベートで飲みに行く機会も増えた。

 

そして僕は普通に楽しかったし

バンド活動をしている自分が嬉しかった。

 

でも僕らは解散した、、

 

解散

正確には

自分がバンドを抜けることになった

 

コピーのライブがおわり

オリジナル曲での練習が始まっていた。

 

もちろんコピーの練習時よりも

話す機会も増え、

少しスタジオ内が煮えきったりする日もあった。

 

おそらくメンバー全員が

気づいていたことだが

自分とベースの関係が良好ではなかった。

 

スタジオに入るたび

自分の何かが彼の機嫌を損なっていることが

彼の態度、言動から

簡単に読み手れた。

 

バンド経験者はわかるかと思うが

スタジオ内でのそういった雰囲気ほど

悪いものはない。

 

とにかく密室

音にも伝わる。

 

一度ベースの彼が

怒って練習中飛び出していったこともあった。

 

そうこうしている中

もう一つの問題が僕らのバンドには浮上した。

 

そのベースの彼とギターの彼女の仲が良すぎた。

 

事が発覚するまで

鈍感な自分は何も悟ることはできなかったが

一番年下のドラムの彼女は

おそらく気づいていた。

 

でも彼女はそれを一度も口にすることはなかった。

 

彼らは付き合っていた。

 

「いいことじゃないか」

僕らのバンドを始めから知るものはそう思う。

 

なぜなら対照的だった二人。

初めは自分がいないと

ベースにプライベートで

会おうともしなかったギターの彼女。

付き合うまで仲が良くなったのは

いいことじゃないか。

 

と自分に言い聞かせた。

 

でも無理だった。

 

もともと関係が悪い状態が続いていた

自分と彼との間に

更なる彼と彼女の交際の発覚は

その時の自分には重荷が大きすぎた。

 

四人でまともに議論なども交わせないのではないか

どうやって俺と彼のこの関係を修復するんだよ

ギターの彼女はどうせ彼の味方になるだろう

こいつらが別れたら、どっちかバンドやめそう、

など色々な問題が頭に降りかかった。

 

「おれバンドやめるわ」

 

ある日のスタジオでの

自分の第一声だった。

 

その時のみんなは

まるで俺が今日この発言をするのを

知っていたかのようだった。

とても優しかった。

 

バンドを抜ける決断ができたのは

ある意味バンド以外の部分もあった。

 

バンド期間中

とあるきっかけでアメリカの友達が地元にいた。

国際交流に興味を持っていた。

 

いつか海外に行きたいなあ

という思いが常にあった。

 

なので

バンドやめることになったら海外へ行こう!

と決めていたので

ぶっちゃけ挫折というものを全く感じなかった。

 

そしてもう一つ

少しメンタル的な話にはなるが

今回のこの件を思ったより

マイナスには捉えなかった。

 

ベースがクソだったとか

あいつらが付き合いやがった

みたいなにくい感情みたいなものは

一ミリも感じなかった。

 

この時自分が思ったのはこうだ。

 

もし自分にもっと影響力があれば、人間としての度量があれば、バンドはこうはならなかったのではないか。

 

つまり力不足を感じた。

 

当時は考えが飛躍しすぎていた部分はあるが

ジャスティンビーバーやエドシーランが

もしバンドを組んだのなら

このような問題は起こらなかったのではないか。

まで考えた。

 

当時25歳

海外へ行ったことのない自分。

飛行機にすらも乗った事がない自分。

家を出て一人暮らしをした事がない自分。

海外留学への決断は

それらの力得るための方法としては十分すぎた。

 

音楽の実力をもっとあげよう。

おれのことを知っている人をSNS常に増やそう。

数多くのバンドの行き詰まりは

自分の人としての度量が足りない。

それをもっと鍛えよう。

 

それらの思いのもと

そこからバイトでお金をため

カナダのワーホリ留学へと続く。



カナダ留学(ワーホリ)

 

助手席に自分を乗せた車は

関西空港へと向かっていた。

 

運転席には父親

後ろには母親が乗っていた。

 

留学を決断してから

留学に旅立つ前にも

今までには到底

気づくことができなかった事が

多々あった。

 

自分の周りの人たちの暖かさだ。

 

こんなにも多くの人が

自分のためにパーティを開いてくれ

ご飯をご馳走してくれ

色紙まで書いてもらえることに

驚きを隠せなかった。

 

当時25歳

これまで一人暮らしの経験もなく

飛行機に乗ったことすらない自分。

 

しかし意外と空港で

緊張感というものは

感じられなかった。

 

出港の時間。

 

親父はいつも通り呆気ない感じだった。

「行ってらっしゃい」

 

僕はカナダのトロントに向かった。

 

留学の始まり

5月のカナダのトロントは

思っていたり普通に寒かった。

 

トロントピアソン国際空港に到着し

エージェントに伝えられた

ホームステイ先の住所を目指す。

 

それが留学で一番初めの自分の任務。

 

空港から最寄りの駅を目指し、

そこからバスに乗らなければいけない。

 

その時のことは今でも覚えているが

最寄りの駅に着いた時の

思っていたと違う感は

とにかくすごかった。

 

比較的都心から離れた場所に位置し、

スラム街にでもきたかのように感じされ

自分は来る場所を間違えたのか、、

とふと思った。

 

手に持ったスマホの

画面に映ったGoogle Mapは

バスに乗ることを指示している。

 

しかし問題は起こった。

どれに乗ればいいのかわからない。

 

日本と違い時間通りにバスが来るわけでもなく

あっているのかどうかがわからない。

 

そもそも25年間

地元の奈良でずっと過ごしてきた自分は

Google Mapでさえうまく使いこなせなかった。

 

とりあえずとまたバスの運転手に声をかけた。

スマホごと見せたりもした。

 

ここでも問題が発生する。

何を言っているかわからない。

 

自分がバスを止めている

というプレッシャーが重くのしかかる。

 

運転手が

「彼は十分な英語力がない」

などと言っていることだけは

なぜかわかった。。

 

カナダに来る前も

海外の人と遊んでいたりしてた自分にとっては

こんなはずじゃないと何度も思った。

 

それと同時に

これが留学の醍醐味かと

ワクワクしている自分もいた。

 

結果として

道ゆくある一人の人に

自分は助けを求めた。

30代ぐらいの一人の白人男性。

 

結論から言うと

親切すぎる人だった。

 

まずバス停を教えてくれた。

「次に来るバスに乗るんだ」

 

自分は感謝の意を伝え

バスを待つ。

 

彼もなぜかバス停にずっと立っている。

 

バスが来る。

そして彼は改めて

バスの運転手に確認してくれた。

 

「三つ目のバス停で降りるんだ」

 

そして彼はそのバスに乗ることなく去っていった。

 

改めて思い返すと

連絡先の一つでも聞けばよかった。

 

そういった発想に

一ミリも及ばなかった自分に

軽く腹が立ったが

それと同時に

自分がいかに必死にだったのかを

改めて理解した。

 

そして

無事ホームステイ先に到着した。

 

フィリピン系の家系で

自分と同じ部屋のルームメイトは

ベルギー出身の18歳くらいの

黒人の男の子だった。

 

語学学校

ホームステイ先に着いた次の日

語学学校が始まる。

 

留学第二の試練といったところだろうか。

 

ホームステイ先の人が

住所とチケットの買い方を書いた紙

そしてそこまでの運賃をくれた。

 

語学学校に着くまでは

まあまあ迷った。

 

意外と小さい学校だったので

見つけるのが大変だった。

 

ダウンタウンの中心部に位置し

学校へ向かう電車が近づくにつれ

自分はワクワクを隠せなかった。

 

街にはストリートカーが走り

明らかに日本と違う建造物が

次々に並んでいた。

 

俺は留学に来たのだ。

と改めて実感した。

 

そしてそれは

初日の不安を跡形もなく

吹き飛ばした。

 

学校に入ると

そこはまるで大学。

友達を作るには最適な場所だった。

 

語学学校生活を簡単にまとめると

授業はそこまで好きになれなかったので

自分は卒業せずに終えた。

でもそこでできた友達とは

まあまあ遊んだ。

とまあこんな感じだ。

 

👇参考記事

語学学校の最適な期間ってどれくらい?

 

学校卒業後(※正確にはしていないが)

自分は仕事と住む場所を見つけていくわけだが

転職2回、引っ越し3回

することになる。

 

それらの波乱万丈な内容は

こちらの記事を👇

ワーホリで本当に大変だったことトップスリー

 

留学が与えてくれたこと。

留学中

目に見える大きな変化といえば

ブログを始めたことだ。

 

留学は自分と対話できる時間が多くある

ということに気づいたのは

留学生活が半分を過ぎた時。

 

「何かしたい」

「このままでいいのか」

という想いのもと

お金の勉強や発信活動について

色々学んだ。

 

こうやってブログを書いて

読者に情報を届けられるのも

留学があってのこと。

 

そして何より

自分は影響力が欲しかった。

それはバンド解散時に

自分が決意したことだからだ。

 

帰国

本音を話すと

留学中日本に帰る日を

待ち遠しく思った日は何度もあったし

やり残した感などもたくさんあった。

 

明らかこれで帰って良いと

納得ができる状態での帰国ではなかった。

 

しかし

シンプルにお金がなかった。

 

心に余裕もなかった。

 

そして

僕の留学は終わりを告げた。



帰国後

車を飛ばし

空港まで迎えに来てくれたのは

父親だった。

 

二週間前まで会っていたかのように

あっさりと僕らは出会った。

それが僕の父親だ。

 

家に帰り

母親に会い

次の日に

じいちゃんばあちゃんに会った。

従兄弟もきた。

 

安全に帰国したことを

喜んでくれていたことは覚えているが

どういった会話をしたかは

まるで覚えていなかった。

 

オンラインサロン

留学中

ブロガーのるってぃさん(@rutty07z)の影響で

ブログを始めた自分は

彼が当時運営していた

やるサロンというオンラインサロンに入った。

 

1回目のオフ会の場所は大阪。

Airbnbで借りた一軒家で

自分の家から徒歩30分ぐらいの場所だった。

 

「初めまして」と中に入った。

そこには多くのブロガーさんや

発信活動を行なっている人たちがたくさんいた。

 

そこをまず快く

向かい入れてくれたのは

あんちゃさん(@annin_book)という

るってぃさんとともに

そのサロンを運営している

ブロガーさんだった。

 

僕がそこに入った時

イチハヤさん(@HAYATONIQ)という方が

プレゼンを行なっていた。

 

正直内容にすごい感銘したことを覚えている。

 

今まで知らなかった人の話で

ここまで引き込まれたのは

初めてだったかもしれない。

 

話が終わり

そこにいる多くの人と話す機会があった。

 

正直にいうと

話し方がわからなかった。

 

謙虚にいき過ぎて

自分を出せない部分も多くあったし

そこで目立とうなんて発想も

一ミリたりとも浮かばなかった。

 

浮かんだとしても

できる自信もなかったのも現実。

 

そこにいる人たち各々が

様々な活動をしており

フォロワー数も多く

明らかに自分は浮いている

と感じた。

 

そして

コミュニケーション能力が低い

そう感じた日でもあった。

 

それから

やるサロン解散までの日まで

数回にわたりオフ会に参加し

サロンとは別に

サロンメンバーと会ったりもした。

 

岡山でキャンプをするオフ会があったのだが

のちにそこで出会った人のある活動をヒントに

自分は国際交流イベントを開催していくこととなる。

 

借金

ここで少し

自分の生活の面の話をしたいと思う。

 

実はカナダからの帰国時

自分の貯金は破産していた。

 

カナダで使っていた銀行

日本の銀行

共に貯金額はゼロ。

 

クレジットカードを使って

航空券を買い帰国した。

 

プラス

序盤に言った通り

多くの人に出発前

暖かく見送ってくれた手前

その人たちにお土産も買っていた。

 

自分は約20万円の請求を抱えて帰国していた。

 

そしてその中

 

カナダ留学で一人暮らしの快感を得ていた。

家を出たい。

 

20万の借金がある中

自分はさらに大阪へと引っ越しを決意。

 

英語講師やアパレル関係の

仕事に就くまでの生活費なども

自分を大きく苦しめることとなった。

 

留学時に作った

クレジットカードの請求は

親父とじいちゃんに借りて返済し

引っ越し費用や

仕事が見つかるまでの間の生活費などは

自分のバンド時代に使っていた

大切なギター二本

カナダで買ったビデオカメラを

売ったりした。

 

メルカリも小遣い程度に使った。

しかしそれでもまだ足りなかった。

 

クレジットカード2枚分の

リボ払い上限マックスまで使った。

さらに地元の銀行かも

借りれる金額のマックス分を借りた。

それでようやく持ちこたえた感じだった。

 

留学時のカードの支払いの額も含めると

7,80万円くらいの借金を

おそらく持っていた。

 

うちのじいちゃん、

ばあちゃんの家系は裕福で

実家の家はじいちゃんばあちゃんの

所有しているものだった。

 

そして両親共働きで

贅沢したわけではないが

普通に良い暮らしを

自分は留学前までしていた。

 

お金に困るなんていうことは

想像したことなんてなかった。

 

そんな自分との

引っ越し後の現実のギャップは

今までに体感したことのないようなものだった。

 

卵がとご飯とねぎだけで

1日を過ごした日も何度もあったし

 

明後日の請求しなければいけない金額が

4万円ぐらい足りない

なんてことはざらにあった。

 

その度に襲いかかるプレッシャー

恐怖は正直かなり苦しかった。

 

シャワーを一時間以上浴びながら

「マジでどうしようかな」

って考える日も多かった。

 

でも怖いもので

人間は慣れるということを

その時学んだ。

 

つまり

お金がない状況に

自分は慣れてきたのだ。

 

借りればいい。

明日もどうせ生きてるし。

 

今までに持ったことのないような理論をもとに

精神を保つすべを学んでいった。

 

ある日

保健所の更新手続きの問題で

親父と会う機会があった。

 

その時に全て話した。

その時点での借金額は約50万。

もちろんリボ払いと銀行によるによるもので

ほっておけば

50万円なんかで収まることはないものだ。

 

親父の決断は早かった。

「50万円肩代わりするよ」

 

仕事

帰国後

何か留学経験を活かせる仕事はないかと

色々探した。

 

1ヶ月も満たなかった仕事を省くと

一番初めに見つけた仕事は

子供英会話教室

 

この仕事は今考えてもあたりの仕事で

仕事以外でも

信頼することができる人たちとの

出会いでもあった。

 

そして自分は子供が好きだということを

気づかせてくれた仕事でもあった。

 

しかし週一日の仕事なので

もちろん他も何か探さなければいけなかった。

 

次に見つけたのが

服関係の仕事だった。

 

仕事内容は

自社の商品を置いている店舗を回り

商品の陳列や発注を行うという仕事。

 

移動時間、

ブログなどの作業をすることもできたし

比較的給料も良かった。

 

しかし

人が終わっていた。

 

近頃のブロガーやインフルエンサーが

ネットでディスりがちな

典型的ななりたくないタイプの

会社員上司みたいな人たちだった。

 

普通に仲良くしたいと思える

そうじゃない人たちもいた。

 

起きた問題の詳細などは省き

とりあえず辞めた。

 

次に働いた場所は

海外の人が来るようなPubだった。

 

日本の飲食店ということ考えれば

比較的緩い場所だった。

 

結果的にそこの店長ともめて

10ヶ月後ぐらいに辞めることに

なるわけだがそこで得たものは

以外にもあった。

 

海外のお客さんが来る場所ということもあり

海外の友達ができた。

自分が開いているイベントにも

来てくれる人もいた。

 

そしてそこで働く従業員から

学べることはたくさんあった。

 

従業員の多くは大学生。

 

大学生とがっつり絡む機会というものは

この歳になるとそうそうない。

 

彼らのコミュニケーションの能力。

彼らの社会に対する振る舞い方。

彼らの醸し出す雰囲気など

尊敬すべき点は多く

自分のこれからの課題にすべき部分でもあった。




これからの活動・思い

国際交流イベント

ここまでけっこうまとまりもなく

つらつら自分にあった出来事や思いを

書き連ねているわけだが

帰国後自分が一番力を間違いなく入れているのは

国際交流イベント”cozycozy”だ。

 

2018年の10月に初めてイベントを開き

2019年は毎月開催すると決め

毎日集客や企画に追われる日々が続いている。

 

もちろんその過程で

学ぶことはたくさんある。

出会えた仲間もたくさんいる。

 

イベントに関しての内容は

別記事でしっかりと表現しようと思うので

それをぜひ待っていて欲しい。

 

英語コミュニティ

 

国際交流イベントを開くと

見えてくるものがある。

 

国際交流に来る人は

何を求めているのか。

 

それを突き詰めた結果

自分が作ろうという考えに

至ったものが”cozy room“だ。

 

シンプルにいうと

英語コミュニティ。

 

英語力をあげたい。

英語を仕事にしたい。

英語仲間が欲しい。

 

イベントに来てくれる人の

様々な思いを叶えていきたいと

全力で思った。

 

これについても別記事で

改めて伝えたいと思うので

待っていて欲しい。

 

思い

最後に自分の思いを語り

ここで自己紹介を終わろうと思う。

 

自分はやっぱり

働くのが嫌いで

誰かに指示されて動くというのが

とても苦手だ。

 

最後にPubで働いて

あれだけ自由な場所だったのにも関わらず

やっぱり合わなかった。

それで改めてそれを実感した。

 

そしてやっぱり

人気、影響力が欲しい

と改めて思う。

 

自分の人生を変えた留学の魅力を

もっと多くの人に伝えたいし

英語で繋がることができる人との魅力を

多くの人に伝えることができるようになりたい。

 

この自己紹介を見て

何か一緒にできることがある

と思った人

何か助けになることができるかも

と思った人は

気軽にツイッターにDMを送って欲しい。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

Profile

かずひ – 国際交流イベンター。

2018年カナダのトロントでのワーホリ留学から帰国。遊びをテーマとした国際交流イベントを大阪で毎月開催。子供英会話教師としても活動中。

👉1分でわかる~kazhiって何者!?

国際交流イベントスポンサー


 





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